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22 2002/09/05

魔が差す

 小学生の私たちにとって校長先生は何かの式典とか朝礼で見かけるだけの遠い存在でした。校長先生は表彰のとき、二人目以降生徒の名前を呼ぶと続けて「イカどんぶり!」と言って、うやうやしく賞状を手渡してくれたのでした。そこで校長先生の口調をまねて友達の名前の後にイカどんぶりを付けて遊んだのでした。「林田克信イカどんぶり!」といったぐあい。
  「そのイカどんぶりは何だ?」と父に問われて「校長先生の物まねたい」と子供は無邪気なものである。父は「校長先生なら、この前お寺の境内で会ったよ。」とその時のやりとりを話してくれた。   
  その校長は、自転車を止めてちょっとそこを離れるとき丁寧に鍵を掛けていたので、父が「こんなところで取られる心配はないでしょう。」と言うと、「人間は弱いもので、魔が差すということがありますから。その人の心に罪をつくってしまいます。」とおっしゃったのだそうです。父の話の半分も理解できたかどうか分からないけれど、鍵は自転車を守るためではなく子ども(人)に罪を犯させないためだというぼくらの校長先生は何だか偉い人なんだなあと思ったのでした。
  このたびの食肉偽装問題。もし自分が肉屋さんだとして、冷蔵庫の中にそろそろ期限切れの外国産牛肉があったとする。それが国産なら国が買い上げてくれるという。お客さんの口に入る心配はないし、検査は甘い。ただでさえBSE(牛海綿状脳症、狂牛病)騒ぎで肉が売れずに困っている。こんなとき魔が差すことがないといえるだろうか。
 お役人にこの校長先生のような思いやりの気持ちがあって、掛けるべき鍵を掛けていれば、起こらずに済んだ問題だったかもしれない。そんなふうに思う。
 私は折に触れて父に聞かされたこの自転車の鍵の話を思い出し、人を思いやることの深さ・難しさを考えさせられる。
 「イカどんぶり」の暗号の意味が「以下同文」と分かったのは中学生になってからで、校長先生の真意が理解できたのは、さらにもっと後のことだった。