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17 2002/3/2 ネクタイ

 私もまた二十世紀後半の教育を受けたために、理屈で説明できない不合理なものはなかなか受け入れられない傾向がある。
 「神様」と「ネクタイ」が子供だった私には理解できなかった。サンタクロースの正体を知った私は、何で大人たちが想像上の生きものである神に祈るのか分からなかった。
 「人間の世界には、どんなに科学が進んでも、理屈で説明できないこと、説明してはいけないこと、不合理でも受け入れなければならないことがあり、それをひっくるめて”神”と言うのである」。理屈で説明できないのが神であるという屁(へ)理屈で、大人になった私は今、神を信じている。
 神を信じない人間が増え、特に近年の日本人は神様離れが進んでいるようだが、その一方で「千と千尋の神隠し」は大ヒット。人間だけで運営してきた世界にうんざりして、そろそろ神様に任せた方がいいのではと思い始めたのかもしれない。
 さて「ネクタイ」。何でこんな窮屈なものを大人たちは、しかも世界中こぞって何百年もの間、首にぶら下げているのだろうか。
 北海道の製紙工場を訪れたとき、私は危うくベルトコンベヤーにネクタイを挟まれそうになった。翌日の新聞に載らなくて済んだと思っていたら、どこかの会社の中間管理職がネクタイで首をつった記事が載っていた。
 大人になった今も私はネクタイが受け入れられない。でも誤解されるのは本意ではないからお葬式には結局ネクタイを締めていく。ネクタイをしなければ誠意がないという今の社会、その一方でネクタイさえすれば誠意も礼儀も要らないと思う輩も目に余る。
 考えてみたら大多数と思っていたネクタイ族は、このたびのアメリカの力ずくの戦争にくみしている諸国の大人の男に限られている。
 確かにネクタイ族が今の世界を牛耳っているかも知れない。でも君たちは神ではない。真摯になってネクタイをしていない人々の声を聞きたまえ。世界中の女性と子供の声を聞きたまえ。