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市議選レポート

■立候補の動機(住民無視への怒り)

 2003年が明けた頃は、まさか市会議員になろうなどとは思ってもいませんでした。商店街活動やまちづくり運動に関わり始めて、地域への関心は高くなっておりましたが、まちづくりは民間のやる気(想い)と行動が一番であって、行政を当てにしてはならないし、むしろ民間だけでゲリラ作戦をとることの方がかっこいいと考えていました。

 周りから「そろそろ森岳まちづくりの会も誰か一人ぐらい議員を送り込んで、島原全体を変えていかなきゃ。」と言われることがあっても、仲間は誰も相手にしませんでした。

 私も又ご他聞に漏れず、政治は汚いもの・政治で世の中は変わらない、と考える市民でしかありませんでした。そんな私が何ゆえに立候補に踏み切ったのか?

 2002年夏ごろから合併問題に関心を持つようになり、自分の出来る範囲で「署名」に参加したりして声を上げましたが、住民の意向は全く無視されて合併問題が進められていきました。1市16町が一番聞こえてくる声なのに、アンケートの項目にも入らない。住民への十分な説明もなく1市5町になったかと思うと、三月には1市5町の合併協議会を崩し、ほとんどドサクサ紛れで有明・島原の(しかも編入の)枠組みを押し付けてきました。(私に動機があるとしたら、こうした住民を馬鹿にしきったやり方に対する義憤であります。)

 「政治(世の中)はそんなものさ」とあきらめるのか。おりしも犯罪を認めた県議に成り代わってその妻が立候補するという常識欠如。市長はじめ島原のトップといわれる人たちがこぞって、それを応援するという厚顔無恥。しかしそれを誰もが「しょんなか(しかたがない)」と諦める住民の無力感。結局長いものには巻かれていっちょけ。与えられた範囲の中で精一杯やるまでさ。

■商店街活動での1コマ (市議立候補を意識)

 私は森岳商店街に属しています。森岳商店街(森岳まちづくりの会)は私が最も誇りに思っている仲間であり、ここ十数年の私のレーゾンデートル(人生そのもの)であります。自分も含めて森岳はかなり元気が出てきたと自負していますが、長引く不況のなか、特に経済的に厳しく、絶えず危機に直面しています。これは、それぞれ頑張っている他の商店街も同じ事情であります。

 噴火以降、商店街は若手を中心に横の連絡を取るようになりました。市内6つの商店街で企画委員会という組織を作り、商工会議所も巻き込んで生き残りのために様々な試みをしてきました。(「もてなす計画」などという企画をご記憶の方もいらっしゃると思います。)その企画委員会で暖めてきた最後の切り札が、この春スタートした「がんばスタンプ」です。

 その準備に奔走しているころ、夕食も食べ損ねての会議のあと、5〜6人で食べて飲みながらの勢いの中、商店街仲間のT君が、「松坂さん市会議員に成りませんか、応援しますよ。」と切り出した。T君とは「合併署名」でも力を合わせたし、今回のがんばスタンプでも同志である。気心は知れている。行政を当てにせず、自分たちでやるしかない。そういう考えだから、ほとんど冗談として受け流し、ひとしきり議会はかくあるべし、合併はどうたらと話は核心に迫り、「じゃあ、自分はどうする?!」「がんばスタンプをやる!」。そんな風に盛り上がる。

 数週間後また同じ面子で集まった。T君が再度切り出した。私はすっかり忘れていた。「じゃあ自分はどうする?」が信念の彼は「人を変えるのは難しいが、自分が変わるのは簡単だ。」も、よく使うフレーズだ。そんな彼が「言い出した自分がやるのが筋だが、自分は最後まで民間の立場でやるし、政治の世界に入り込む気はさらさらない。自分がやらないことを人に押し付けるのは気が引けるが、松坂さんは市議になるのがいいですよ。」と、まったく言いたい放題だ。「松坂さんが森岳でやってきたまちづくりをそのままやればいいんですよ。その辺の議員よりよっぽどましです。」妙に説得力がある。「僕も民間ゲリラでやる、冗談はよせ。」と相手にしない。「冗談ではないです。真剣です。」酒で真っ赤になった顔でT君。押されて「分かった、僕も真剣に考えてみることにする。」と私。折りしも、1市5町の合併協議は崩壊寸前のころでありました。
  
 島原新聞に「市町村合併で提言:あきらめるな1市16町」を投稿(4-9付掲載:青草子1号P12)した時、T君の言葉がかすかに頭をよぎりました。

 後日この仲間に立候補の決意を伝えると、商工会議所のB君は、「えー、あの飲んだ時に決心したんですか?冗談だと思ってました。」と反応したぐらいだから、いかに思い立ちがいい加減だったかを物語っています。       

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