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市議会報告:第3幕  初『一般質問』

一般質問の内容はもちろんのこと、議会でのやりとりは一字一句まで記録が残り、情報公開されます。「議事録」は印刷物の形で、公民館・市役所の情報公開室・議会図書室などで自由にみることができます。島原市の場合は島原市のホームページでも議事録が公開されていますので、インターネットの出来る人は家庭に居ながらにして、内容を知ることが出来ます。印刷物にするとかなりの分量になりますので、各家庭には島原市の広報に挟み込む形で、年四回「市議会だより」が配布されます。20ページほどの要旨集になっています。どうかこちらも合わせてご覧になり市議会をチェックしてください。そして気になることがあったら、議事録までご覧ください。
 本報告書は松坂まさおの報告書ですので、議事録から松坂の箇所だけは再録したいのですが、現状では議事録が出来上がるまで3ヶ月近くを要しており、待っていては9月議会に間に合いませんので、原稿段階のものを掲載します。実際とは言い回しが違ったりしております。時間の都合で言えなかった部分は分かる範囲で削除しましたが、正確ではありません。公文書として引用する際には「議事録」で確認してください。市長の答弁とそのあとのやりとりはあらすじのみです。

 本人の感想(反省)
演壇からの質問演説が25分を越えて(当初予定22分)、市長の答弁は予想外に長く(約20分)、二の矢を放つ頃は残り10分程度だった。言うべき事は一通り言ったが、市長からこちらが納得のゆく答弁は引き出せなかった。ああ言えばこう言おうと用意していた【二の矢】の原稿と膨大な資料はほとんど使えなかった。YESといえばこう、NOといえばこうと考えていたのにYESもNOも言わずのらりくらりと抽象的な言葉を並べてくる。甘かった。時間も足りなかった。
時間が足りないのは承知していた。@情報公開はまだまだ遅れていると思う私の認識に対して、当然向こうは情報公開に努めているというだろう事は予想されていた。こうした認識のズレは平行線になるのも分かっていた。だから「まだまだ情報公開されていない」と言い放って区切った。
これは合併問題の情報公開についても同じ事で、情報公開についての質問は、合併問題の内容が市民に知らされていないことを知らしめるための伏線だった。A住民説明はなされていないという私の良識判断も、先方は住民の声に基づいて有明との合併を進めていると平気で言い切る。
これは何としても市長に撤回させたかったが、時間も足りず、弁論技術も及ばなかった。住民は納得していないとこちらで結論を言って、B編入取り下げを迫ろうとしたが、これも時間切れ。
 だからこそ最初の25分で大方言いたいことは言い切ったつもりである。Bの編入取り下げについては島原市議会に対するアピールもあって、市長(市政)に向かっての一般質問なのに議員仲間にお願いするような不自然な部分が残った。今までの議会の(新設ではなく編入という)流れの外にいた新人議員だから致し方ない。

**********一般質問原稿(演壇より)6/24**********
おはようございます。改革クラブの松坂まさおです。
通告順に従いまして本日トップバッターで一般質問をさせていただきます。
先般の市会議員選挙におきましては、正直がいちばん!をモットーに、
公約1「開け議会」議会の内容を分かりやすくします。
公約2「島原半島は1つ」1市16町対等合併をめざします。
公約3「中心市街地の活性化」街づくり活動経験を生かし街を元気にします。以上3つの公約を訴えて、市民皆様の支持をいただき、こうして市会議員として壇上に立つことが出来ました。応援ありがとうございました。
ここに立っている私は、支持していただいた市民の皆様、いや4万人市民の代表であります。今から行う私の質問は4万人の声であります。質問を受けた市長はじめ理事者の皆様は、私に対してと同時に市民に答弁するものと再認識していただくようお願いします。
そして出来得れば、私自らが1年生議員で分からないことも多いので、お願いしたいのですが、関心を持ち始めて市議会を(傍聴し始めた)かぼちゃを見始めた若い人たちに、教え諭すように分かりやすく島原の政治を説明していただくようお願いいたします。
本日は約束した公約から大項目で2点。開かれた議会について、と、合併の問題について の2点に絞って質問いたします。商店街問題などの質問を期待なさった支持者の皆様には、9月までお預けとなりますが、引き続き声をお聞かせ下さるようお願いいたします。選挙期間中、500回をこえる辻立ち、街頭演説をする中で、一番支持が多く、至るところで拍手までいただいた公約が「1市16町対等合併!」であります。市民の皆さんがいかに強く1市16町対等合併を望んでいるか、そのことがひしひしと伝わってくる選挙戦でありました。そういうわけで、本日の質問はそのほとんどを合併問題につぎ込みますのでよろしくお願いします。

まず「開かれた議会」「開かれた市政」ということでご質問をします。
情報開示にあたっては、プライバシーの問題など十分な配慮をするという良識は大前提でお尋ねします。
市政の中身が市民に伝わらない、市民の声が市政に反映しないなどと言われ、年々選挙の投票率も下がり、特に若者の政治ばなれが進んでいるようです。島原市はどのように情報を公開・発信し、どのように市民の声をくみ上げているのかその基本方針を示してください。
そして具体的にまず島原市のホームページの状況を説明してください。確か各公民館など公共施設で島原市のホームページが見られるように整備されていたと思いますがその状況はどうなっているのかも合わせて報告してください。
カボチャによる島原市議会の放映はたいへん好評です。これも各公民館等でいつでも見られるように整備すべきだと思いますがどうでしょうか。だいたいどこの公民館のロビーにもテレビがあるし、カボチャのケーブルはインターネットの関係でつながっているはずですから、あとは線をつなぐだけです。

続きまして、合併問題についてお尋ねします。
まず現在進められている有明町との1市1町合併協議会についてです。この3月に1市5町が決裂したかと思うと、あっという間に4月にはスタートして
市民の不信感をつのらせた電撃婚約劇、有明との合併協議会設立についてです。
有明との協議会を立ち上げた経緯・理由(なぜ有明町との合併なのかという理由)を説明してください。島原市と有明町でお金を出し合って運営している合併協議会の概略を説明して下さい。
特に予算の中で最も大きな割合を占めている1200万円もの委託料がコンサルタント会社:九州経済調査協会に支払われますが、そのコンサルをどのようにして選んだのか。その経歴・島原との関わり・島原市との連携・合併協との連携・役割分担などを教えてください。私はそれだけのお金を払うならそのぶん市や町のかかえる有能なスタッフを増員する方がはるかに良いのではないかと考えていますがどうでしょうか。
九州経済調査協会、九経調は1市5町の時と同じコンサルのようですが1市1町に移行する際の変更点がありますか。
19名の委員のうち(県が1人・有明が7人で)島原からの11名はどのようにして選んだのか。その選考理由を。また「まちづくり懇話会」の設置理由・位置づけ・メンバー選定理由。これも1市5町の段階と方針等に変更点があるか合わせて簡潔に説明してください。
1市5町を失敗に終わらせた責任はとらないでいいのでしょうか。
うまく行かなかった理由を、きちんと整理し、反省し、けじめを付けたあとで次の段階に移るのが普通でしょう。

「なぜ編入方式なのか」
現在の合併協(有明島原)は、ほとんど議論されることもなく、編入方式をとりましたが、市民を納得させるだけの理由があるのでしょうか。1市5町の段階でも南部四町はもちろんのこと、自らは対等を唱えていた吉岡会長(市長)嶋井幹事(助役)・そして多くの島原市民を納得させるだけの理由(編入の方が対等よりいいという理由)は説明されていなかったのではないでしょうか。「市長と学識経験者委員は対等新設を言い、議員団が編入吸収を言い張り、島原はバラバラだ」と市民からも半島からも言われていたところです。
吉岡市長はいつ新設対等から編入に心変わりをしたのですか。説明責任を含めて、改めて編入方式が良いというのであれば根拠を示してください。いや、有明との合併においても本当は新設対等がいいのだが、と お考えであればそれも正直にお答えください。
(島原市議会だより174臨時号h15/2によると)
 編入の論議は1市5町の法定協3回目頃(昨年9月20日ころ)から出はじめた訳で、はじめの頃、市長も市議会も1市16町をめざして他町を説得していた頃(1市5町の前)は対等か編入かの議論はなされておらず、16町12万人に対して島原4万人では編入を考えるまでもなく対等しか頭にはなかったはずと考えられますがどうでしょうか。つまり、出発の頃の1市16町は対等合併と考えられていたと判断してよろしいですか。
商工会議所青年部を中心としたメンバーが行った法定署名や未来へつなぐ半島合併の会の請願署名は島原および、半島住民の1市16町合併への願いの表れであり、市長が心配なさっている住民の関心はかなり高まっております。
1年前とは全然違ってますよ。先日も中川忠則議員とお話しをしていたら、「オイたちが、一所懸命1市16町ば言いよったとき、わったちゃ、(つまり住民ですね)わったちゃ全然関心な無かったローが」などと言われまして確かにそうだったなあと感じております。
私がこうして市議になるきっかけでもあります合併問題でありますが、 !いいですか、私はどのような合併に落ち着いても、今のような住民を無視してバカにしたやり方をしていったら、ほんとに恥ずかしい誇りの持てないまちになってしまう!住民と行政が離れて、住民同士が心の通わない街になってしまう。これではいかん!その一念、その一心で市議に立候補したのであります。
吉岡市長がたった一人で、孤立無援の中、「半島は1つ!」と言い続け、昨年の暮れだったかにお会いしたときも、君たち若い人たちの盛り上がりにかかっていると言われ、私は本気で、何とか市長の力にならなければと考え、本気でやっているんですよ!

というわけで私自身が「何か変だな」「何で変な方向に行のだろう」と考えるようになってまだ1年になりません。確か去年11月(9日)青年会議所が主催したフォーラムで若い人たちや市川森一さんの話を聞いた時からでありますから、まだ7ヶ月です。とにかくこの1年で住民はかなり変わりましたよ。そうした盛り上がりつつある住民の願い・新しい時代の流れをどう受け止めているのでしょうか。
未来へつなぐ半島合併の会の人たちが南高全町を回って、6月18日市長にも半島の有権者4万数千人の署名を届けました。(そのうち島原は1万6千人で過半数を超える52%・・・いいですか!、全員アンケートじゃなくて署名ですよ。署名で過半数はすごい数ですよ。市民の過半数は1市16町を願っているのですよ。)
新聞報道によると「1市16町を視野に入れて有明との合併を進めていると答えた」とあります。
1市5町の時も同じことを言っていました。「1市16町はあきらめていない」と・・・。本当にあきらめていないのか確認したいと思います。
今までの市長の1市16町への取り組みはまだまだ本物とは言えなかった。と私は思っています。孤立無援で非常に苦しい立場であったろうと推察も出来るのですが、ここはやはり市長なのですから、本気でやるべきだったと思います。
合併の根幹に関わる協議会のメンバー選定にしても、対等か編入かの議論にしても、何故臨時議会を招集してでも大事な案件を議案として出さなかったのでしょうか。(全員協議会:傍聴者がいらっしゃいますので説明しますと、全議員が集まって色々協議して公式決定はしない、文字通り協議の場のことです)そうした全員協議会のような法的根拠のない会議で乗り切れると判断していたのでしょうか。
自分が議員になってみて、例えばこうした前例のない臨時議会を招集するとなると、これは大変なことだと、そう思われます。地方自治法を見れば、(定例会も臨時会も)「101条:市長が招集する」とあるから簡単そうだけど、これが大変です。でも、そういう権限が与えられているんです。市長が必要と判断すれば「臨時議会」は開けるんです。そうすれば市民も何事かと思う。南高の各町も吉岡市長は本気だと思う。
1市5町のアンケートの際に、なぜ枠組みに対する問いかけをしなかったのでしょうか。「今の枠組み1市5町でいいか、どんな枠組みがいいか」という項目を入れるだけで良かったではありませんか。自由記入欄に枠組みについて触れた書き込み678件のうち500人70%が1市16町を求めていたと報告されているじゃありませんか。(1市5町の枠組みに対する賛否を書いた自由書き込みは賛成113反対219)
1市5町合併協議会の建前は分かりますよ、目的が1市5町だからそれが前提でなどと言うのでしょうが、これだけ流動的な島原半島の状況を加味すれば住民の枠組みに対するアンケートは非常に意味があったはずです。
現にあのときだって1ヶ月ごとに1市3町だ、1市4町だ、と変化していたし、今だって南部雲仙地区4町だ、8町だ、北部5町だ7町だと実に目まぐるしい。しかもこれが住民の心変わりではなく、町長だ町議会だの話のようでどうも住民は大きい方へ大きい方へと向かっている。そんな中で住民の声を拾う工夫はいくらもあったはずだし、あの時点で1市5町ならそれを住民に説明する必要もあったはずです。
コンサルタントの適性にも問題があると私は思っていますが、ともかくも市長はこうしたあらゆる機会に1市16町の声を聞くことが出来たはずです。1市5町のころにおこなった町内単位の説明会でも挙手をお願いするなどで住民の声をもっとはっきりしたデータに近づけられたはずです。
どこの町内でも一番多く出ていた[1市16町はどうなった]の声を聞き置いて「目標はあくまで1市16町だ」と言いながら「今は1市5町をまとめたい、手近なところから行きたい」といい、編入も対等も聞かず、結果玉虫色のままでどうにでもで解釈できる説明会だった。4月1日の1市1町立ち上げに際しては「まず出来るところからまとめて・・・という住民の声を参考に」などと強引な説明。昨日の上田議員の質問に対しても「まず実現しやすいところからまとめてと言う住民の声が多く」とおっしゃいましたが、1市5町の時の出来るところは1市5町を指していて、当時は何が何でも1市5町を割るわけには行かない。ということだったはずです。この説明ばかりはさすがに、合併に関心を持ち始めた全市民の信頼を完全に無くす結果になった訳です。
本当に1市16町はあきらめていないのか。確認したいと思います。本心を言いますとあきらめてほしくないんです。
 すでに「1市16町はあきらめて、1市1町で行く」と決心してしまっているのならそれならそれで、1市16町を叫ぶ住民にあきらめるよう説得するとか、街づくり懇話会のような場所でも1市1町の利を説くなど住民に理解を得る努力が必要ではないか。もっと真剣に住民に向き合ってほしいとおもいます。

さて
大きく合併するとこれまでのようには住民の声が届かなくなるのではないかという不安が、特に周辺町、町はずれの方からでてきます。その不安解消のために合併特例法は地域審議会の導入を謳っています。この住民の声を集めるという地域審議会をもっとPR出来ないのか(地域自治組織への発展の可能性も含めて)この地域審議会又は地域自治組織の存在をここで簡潔に紹介してください。
最後に
1市16町合併協議会設立を呼びかけて、任意でも法定でも結構です、2本立てで検討し、住民に選択して貰う方法は(佐世保周辺の実例もあり)法的には可能なはず。どうでしょうか。

答弁を受けて再度質問をしますので、簡潔な答えを要求します。数値等は上2けた3けたの概数で結構。バランスを見たいわけだからパーセントを使って分かりやすくお願いします。例、島原の人口は正確には39605人でも4万人。1市1町合併協の予算は全部で今年度3390万円のうち島原が63%を負担して2150万円のように。よろしくお願いします。
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これに対して市長の答えは
開かれた市政については、市の情報公開条例に沿って原則公開をしているところ。情報発信は大事。議会会議録も公開している。公開が遅れている件は文字化するのに時間がかかるから御了承を。広報「しまばら」の発行、インターネット活用している。住民の声は、電子メール・市長へのポスト・市長を囲む懇談会などで受けている。
この6月時点で3月の議事録は完成し公民館等で閲覧できるのに、(文字化は出来ているのに)ホームページには載っていない。理屈では出来るはず、やる気の問題だと指摘。掲示板も付けるよう希望。
 1市5町合併実現に向け粘り強く取り組んだが残念な結果になった。断腸の思いだった。理解してくれ(と経過報告し1市5町解散の責任については言及せず。)
1市1町ですすめる理由は、(私の質問「あの時点では、出来るところとの合併は1市5町のことだった。」の指摘は全く無視して)「合併は実現しやすいところと行い、その後他の町を考えたらよい」という住民の意見が多く有明との合併協議会設置となった。住民説明については(1市5町の段階で行った)町内会ごとの対話集会で住民の理解を得ている。コンサルの選定は公正に審査を行い最もすぐれた提案だったから九経調を選定した。協議会メンバーや、懇話会のメンバーは合併特例法に基づいて選定した。地域審議会は今後検討する。合併期限延長措置等は国の動向を見守る。1市16町は諦めていないが、賛成しない自治体や町長、議会がある。松坂議員が説得してくれるなら協力する。17年3月期限には無理だ。最終的には1市16町にしたい。
  有明との合併の話になって住民の理解を確認した事実はないのに、上記のような強引な説明。私は独自に行ったアンケートを元に有明との編入合併に支持は得られていないことを指摘。1市1町を進める市が選定した委員の有効回答(25人)の4%(1人)しか支持していない。この件はその後大きな波紋を呼ぶので、別途報告します。(第6幕)
  コンサルの選定についての市長の答弁は「第3位の評価」を「最も優れた」と表現する何とも不誠実なものであるが、この時点では通過。この件については議会後半、徹底的に追及したので後半「反対討論」を読んで理解を深めていただきたい。(第5幕)
  メンバー選定の選考理由を聞いているのに、「法律で決められているから選んだ」では答えになっていないが時間がなく追求できず。
   私は今の島原半島の状況を見るとき、特に周辺町の感情などを考えたとき、ゆくゆく1市16町を念頭に置くなら、合併方式を編入ではなく新設対等にするべきだと力説。先輩議員を(編入を取り下げ新設で行こう!)と説得するから、市長も考えてくれと要望。
   時間切れぎりぎりの最後の質問は、市長にむしろこの新設路線で行くことを確認すべきだったのに。時間に迫られて血迷った私は、1市16町でいいか?などと分かりきったことを聞いてしまった。

と、まあ、初めての一般質問は、こんな具合だった。これで6月議会は終わりかと思うと欲求不満が残った。9月議会では遅すぎる追求事項が残されたからだ。このままでは終わらせないぞ!

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