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28 2003/3/25

わかばの常識

  一九四五年八月九日、長崎。十八歳だった私の父は原爆を目のあたりにしました。友人の消息を尋ねて地獄絵の廃墟を彷徨(ほうこう)したそうです。助けを求める人々の「水、みず…」といううめき声が今も耳から離れないようで、言いようのないやりきれなさが父の話から伝わってきます。

 一面焦土と化した長崎に百年は草木も生えないだろうといわれたそうです。ところが翌年の春、爆心地に赴くと、がれきの片隅にシダの若葉が芽を出していました。この小さな出来事は、青年の心に強い印象を与えました。彼はのちに写真館を開業するときに「わかば」の屋号を選んだというわけです。

 人間の愚かさ・小ささを包み込む大自然の力が感じられ、性格不一致でしょっちゅうぶつかっている親子でありますが、私は「わかば写真館」の屋号だけは素直に、誇りを持って受け継ぎました。

 長崎の原爆は人類が犯したもっとも愚劣な出来事でしょう。敗色濃厚な日本に引導を渡した広島の原爆もむごいですが、この広島を見て、日本の降伏を確信したソ連は、戦勝国側について分け前にあずかろうと、広島の翌日、中立を破り日本に侵攻しました。ソ連の参戦で戦争が終結したのではまずいと、アメリカは戦後処理でソ連に優位を保つためだけの二発目の原爆を私たちの住むまちの上空に投下しました。

 私はこの原稿を、ブッシュ大統領のむなしい宣戦演説を聞きながら書いています。昼間なのに涙が流れて止まりません。解説者があれこれ説明して、理由を言っていますが、この戦争は間違っています。
 
 それは「わかば」の常識であります。そしておそらく長崎の常識でしょう。そしてそれが人類の常識ではなかったのでしょうか。長崎から何も学ばなかったアメリカは人類の名に値しません。日本もまた同類です。人間の集合である国家に「人間性」は「人としての誇り」は無いのでしょうか。

 私は今日ほど人間であることを悲しく思ったことはありません。トマホークの下から逃げ惑う子供たちの声が聞こえてきます。