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23 2002/10/24

協賛広告

 不況時代の商店主の悩みは「協賛広告」だ。先ごろ「第四十二回長崎県○○教育研究大会・島原大会」紀要のための広告依頼なるものを、いつもお世話になっている先生が、持ってこられた。特に親しくさせていただいている先生だから、苦しい台所事情を話して今回はお断りした。釈然としないものが残る。

 先生方もたかだか五百部の資料に載せる広告が、出す費用分の宣伝効果は無いのを承知の上で、八年に一度の持ち回りにぶつかったばかりに、暑いさなか広告取りに奔走し、文化会館の会場費やら、印刷費を捻出しなければならないというわけである。しかし商店主にとっては「踏み絵」である。子供がお世話になり、商売の上でも直接・間接にお世話になっている。とても断りづらい。

 子供たちの教育に必要であればその意義を主張して堂々と税金を使えばいい。税金に拘束されず、自主的に研究学習するのであれば、なぜ参加者の自己負担で賄わないのか。各学校の体育館を使えば会場費は要らないではないか。五百部の資料なら各先生方のワープロ技能と学校の印刷設備で十分ではないか。

 四十年前、がり版印刷の頃、薄給にあえいでいた教職員が、羽振りのいい商店主にスポンサーをお願いしたころをそのまま踏襲しているのではないか。公務員天国といわれて久しい現在。なぜ裕福な先生方の自主研修の費用を、不況で苦しんでいる商店主が負担しなければならないのか。

 商店街の店主たちは長年、文化の擁護者として、目先の損得は抜きにして意気に感じては、なけなしの広告料も負担してきた。そして、いろんな文化が育ってきた。しかしそこにはおのずと限界がある。ご理解いただきたい。

 (当事者には自分たちだとすぐ分かるはずだが)このたびあえて「○○」で伏せ字にしたのは、何十年も続くいろんな組織やイベントを運営なさっている人たちに、他人ごとではなく、「昨年並みが何年も続くと時代に合わなくなる」ことを肝に銘じて、いま一度、再点検をしてほしいからだ。