●土佐日記(独り言)

市長選挙敗戦の弁  2004/12/7
負ければどうしても反省点が山ほど出てくる。
これは青草子4号にきっちり整理しよう。
しかし、あまりにも納得ずくで、矛盾なく100パーセント燃焼した
選挙戦であった。これで勝てばホントにすごいことだった。

結果は「負け」であった。
もちろんあれもこれも間に合わず、あと2週間欲しかった。とか
いろいろ反省は出てくるが、気持ちがいいくらいさわやかな選挙戦だった。
残念なことは(というより、不可解で未だに理由の分からない)
とある団体がらみの数名の行動である。現職市長についた彼らは
(団体とは無関係に個人の立場で政治参加したという建前であろうが)
勝ったのに、全然さわやかそうではない。
(匿名なので彼らかどうか正確にはわからないが)彼等のその後の
行動に僕は人間不信を募らせている。
たかが選挙に負けたくらいで(勝ったぐらいで)そこまで、・・・

失うものと得るものでは、得るものの方が多い選挙戦だったと実感できる。
結果は最悪、暗黒の島原市政。住民には不幸。未だに選挙戦の疲れは取れない。
しかしそろそろ復活しなければならない。

近況報告  2004/9/27
青草子3号が出ない。全力疾走が続いている。少し整理しておこう。
昨日9/26は眉山トンネルの実地検分をした。
諫早での勉強会(時津町の合併の実体・公開討論会のやり方)も行きたかったけど
究極の判断で、眉山トンネルの調査を優先した。
その前日9/25は口之津の田代先生の講演会だ。その日視察から戻ってその脚で・・・。
その前日9/24は視察の移動の合間を幸運も手伝って、犬塚ただしに会うことが出来た。
動いてみるものだ。
犬塚直史氏と一番確認をとりたかった「諫干についての最新情報」を共有できた。
10月1日の長崎再会が楽しみだ。
その日9/24午前中は太田市の行政改革で素晴らしいヒントをもらったばかりだった。
その前日9/23は川越蔵のまち、数年来の見ておきたい場所であった。
その前日9/22森岳のまちづくりについて警察で交通標識の問題など確認をとっておいたことが
そのまま確認できた。
その前日9/21までの9月議会、全力を諫干中長期開門調査請願通過に賭けたが力及ばなかった。
もちろん吉岡市長と最後の対決と位置づけて限られた時間で合併問題、
新たに持ち上がってきた眉山トンネル問題を情報開示の問題、政治姿勢の問題、
地方自治の独立の問題を絡めて問いただした。
しかし市長には誠意が微塵もなく、のらりくらりと言葉を濁すのみ
まさに金子知事の二重人格への失望に通じるものがあった。
市議も市長もより高いものを求めどちらがより良い、より住民のためか
より未来を見つめているかといった議論をしたかった。
あまりにも幼稚な議会だった。
議会を抜け出して選挙応援なんかしてはだめですよとか
李下に冠をたださずなど、3千年も前から言われている政治家としての
常識を訴えて、しかものれんに腕押し。情けない。
同じことがあと4年も続いたとき、果たしてエネルギーが持続するだろうか。
まだまだ(青草子が停滞するくらい、山のようにすることがあるから)大丈夫だとは思うが
善悪の判断だけで(つまり悪に対抗する正義感だけで)自分の立つ場所を保っているようで
つらいものがある。
善と善のぶつかり合いの中で、自己反省をしながら、より良いモノを探すような
そんな政治に携わりたいものだ。もちろん県議・代議士など
会うたびに何かを得ることの出来る先輩政治家。心ある同僚市議たちも
存在する。課長さんたち、市職員、周辺町の議員さんたち尊敬すべき人物は多くいる。
それは今までのまちづくり交遊録と同様である。
しかし総体としての市議会は不満が残る。総体としての島原市(市役所)には
誠意が感じられない。その代表の市長とあれだけ頻繁にやり取りしながら相通じることが
なかったのは何故だろう。悲しい。
結論を言えば、このままだと不幸な合併か、不幸な合併崩壊しか残らない。
出でよ!新市長!である。特にこの数ヶ月の労苦は(多くの苦しむ住民からすればたいしたことではないが)
新市長の出現によって報われたいものである。
僕だって人として生まれた以上、マザーテレサのような生き方をしたい。
それは姿勢の問題である限り誰にでも出来ること。自分もそのように生きようではないか。
しかしマザーテレサの成した仕事を実現できるかどうかは、その能力もあって誰でもは出来るものではない。
5万市民(ゆくゆくは16万市民)を導く力量は誰にでもは無いだろう。
粛々と自分に出来る最大限を捧げよう。
まずは青草子3号による、情報の共有作業だろうか。

厳しい地域経済  2004/8/4
長崎県(商工労働部商工金融課)が、
「平成15年度消費者購買実態調査報告書」なるものを発行している。
3年おきのこの調査は、いわば定点観測である。
平成12年度と比較したとき、わずか3年で愕然とするような変化が見て取れる。

森岳商店街総会(5月25日)のあとの雑談で商工会議所専務理事から
この資料の概要を聞いて、数日後早速会議所に伺って資料を見せてもらった。
調査の方法が正確なデータにどれくらい近づいているかは問題があるかもしれないが
3年前も今回も同じ方法で調査をしているから、比較データは参考になる。

いわゆる滞留率の調査。島原は78.2%(大型店43.7・中心商店街4.1・その他市内30.4)
22%が市外流出(有家5.3・長崎市4.5・県外1.9・通販3.2・移動販売生協など1.9・・・)
ちなみに有明町は地元38.7%。島原へ42.1、国見へ5.8。
深江町は地元46.4%。島原へ33.7、有家に10.0。

有家町外から有家に買い物はほとんどジャスコと思われるが、島原市内の中心商店街が
束になってもジャスコに及んでいないという現実。
実は何がショックかというと、3年前の調査では
島原は91.6%(大型店40.9・中心商店街21.1・その他市内29.6)だったわけで、
3年間で13.4%のダウン。一目で分かるように中心商店街の滞留率が激減している。
21.1→4.1。これはとんでもない数字だ。わずか3年での変化だ。
(<ちょこっと、中断>・・・

即実行! 2004/7/26
この3ヶ月は演劇「虹のたつ海」の公演実現に奔走することとなった。
泥仕合と化した合併論争(どちらに転んでもくだらない!)。とにかく情報発信だ。
住民は完全になめられている。これは国が国民をなめきっているのと
そっくりそのまま重なっている。色々あるがその典型が諫早湾干拓だ!
開門調査しないという理由もへったくれもない暴挙は、
年金問題、イラク出兵、と全く同じ。日本よ、どこへ行く!?
参議院選挙、犬塚氏の勝利がかすかに光明を与えてくれた。
虹の立つ海は問題提起だ。問題提起のあとは即実行だ。
即実行で長浜清掃。いろんな出会いがうれしい取り組みだった。

再会 2004/6/5
九州まちづくりの有数の先覚者の一人は
豆田町まちおこしの石丸邦夫さんだ。
最初に訪れたのはもう10年以上前のことだ。
「開発に取り残された周回遅れの豆田町は、
気がついたらトップランナーになっていた。」と控えめにおっしゃった。

その後僕は、親父といんきょの部屋を企画したときに
約束なしで豆田を訪ね幸運にも嶋屋さんで石丸さんにお会いできた。
猪原君が店を改装したころ、森岳の街並みを見てもらうために
招待したこともある。皆で再び豆田の取り組みを聞いた。

猪原君が豆田を頻繁に訪れて石丸さんの教えを請うただろうことは
豆田を訪問したことがあり、猪原金物店を見た人には容易に想像がつく。

商工会議所青年部で大分中津の大会に行ったときの途中皆に紹介したく
嶋やさんにたずねたこともある。このときは会えなかった。

大分自動車道を走りながら、脳裏をよぎったのは、大分県のまちづくり先覚者たちだ。
あのころはまだ高速は無く、ずいぶん苦労して訪問したものだ。
石丸さん、その甥っ子夫婦、車屋の宿利さん、四代目床屋茂山さん、豆田の人たち。
雲に覆われた由布岳、花の木通りの土屋さん、南の風のマスター、
空想の森の高見乾司館長、湯布院だ。森岳の仲間たちの顔も。

別府まで諫早から片道高速4950円かけるの2、受講料2000円。
僕にしてはずいぶん張り込んだ日帰り研修であった。
自由の森大学特別講座はその内容もさることながら、場内整備スタッフとして
動いておられた石丸さんに再会したこと。一介の喫茶店マスターが
その後日田市の観光協会長になり、(偉くなった!笑)、
自由の森大学でも監事という要職にありながら、
学生スタッフと同じような軽装で動き回っておられたのが心に残る。
御無沙汰を詫びて、今市議になっていることを報告した。
(森岳のまちづくりのころと考え方は変わりませんよ!と、付け加えながら。)
よかったよかった。と言ってもらって、恐縮。

僕たちが豆田を訪問したころ、日田の若者たちは自由の森大学構想の実現に
走り回っていた。夢がひとつずつ実現していく。

多忙 2004/6/1
今日は写真の日です。
日本で最初の写真家長崎の上野彦馬が
坂本竜馬の写真を撮った日だとか?
誰かその起源をご存知でしょうか?
(上野彦馬がらみだったと思っています。)

今日(6/1)もやたらに忙しくて、今日ぐらいは写真業に専念
しようと思っていたのだが・・・なかなかそうもいかない。
ちょっとため息だ。

今日は森岳(上の町)の道路研究会の会議だった。
10年来続けている森岳の街並み形成に欠くことのできない会議だ。
仲間に任せきりで、出席するだけである・・・
この仲間は、森岳商店街・森岳まちづくりと重なり
本来ならもっと時間をかけ情報交換をすべきなのだが・・・
明日からの3日の行動の理解ももらいたいのだが説明するまもなく
夜10時の撮影のために、会議を中座した。

明日(6/2)は「虹の立つ海」島原公演実行委員会だ。
森岳まちづくりの会がこれからのメインテーマを
環境問題にシフトさせていこうと考えている今、本来この実行委員会には
僕らの仲間がもっと参加しているべきなのだが・・・
有明海の問題は、これもまた重要な問題だ。

あさって(6/3)は「がんばスタンプ」の勉強会だ。
今年度、この日スタートする商品券の研究は、
地域経済の切り札となる地域通貨の可能性を秘めるもので、
これもまた僕には超重要課題だ。

しあさって(6/4)は「島原地域の将来を考える会」の学習会だ。
言うまでもなく、島原市議として、島原半島住民として、日本国民として
最重要問題だ。昼間には総務委員協議会で合併後の
役所の組織機構問題を協議する。これも踏まえて夜の学習会に
臨まなくてはならない。

3つの会議はいずれも夜であるが、資料の準備等、
間に合うのだろうか。そして一方で、終わったことの記録
情報発信もしなくてはならない。編集中の青草子3号も
もう待ったなしだ。

なかなか「させていただいている」境地には成れない現実。
睡眠が足りない、時間が足りない、
議員1年、時間の使い方を再考しなければ、だめだ。

消化不良になってどれもものにできないようにならない前に
そろそろ、「これはしない」ということを決めておかないと
今の僕には「とっさの判断力」は望めない。

インターネットの広がり 2004/5/8
 「うず潮」でインターネットに言及して、気が付いたらもう2年半が経過している。
当時のGoogle検索は分母が16億だった。今日確認すると4,285,199,774、ざっと43億だ。
検索エンジンの使い方もまだまだよく知らないけれど、四角の中にキーワード
を入れるだけで、結構いろいろ情報が手に入る。
 繰り返しになるがインターネットはお金がかからないから、
誰でもが日記を書くようなノリで情報発信できる。
 インターネットを通じてずいぶんたくさんの本物情報を手に入れた。
うそ八百のマスコミ。それを反映してインターネットの世界も
嘘の方が幅を利かせている。問題は真実を見極める眼だ。
氾濫するインターネット情報の中から、本物を探し出す眼を養えば、
マスコミ情報からは、事実だけを選び取り、隠された真実も見えてくる。

 インターネットを通じて有明海再生を目指す同士S君と出会った。S君を通じて
ずいぶんたくさんの仲間が出来た。その中の一人「はちまん」さんは本当に、ほとんど
廊下ですれ違うノリで共通の友人S君が居合わせたために知り合うことが出来た。
 岩手県の大船渡の市会議員三浦たかしさんとは
視察研修旅行の際にはすれ違ってお会いできなかったが
インターネットによる情報収集を通じて知り合うことが出来た。
 同じくインターネットで見つけ出した充実議員ホームページとして、
やはり岩手県の市議いせ志穂さんを知ることが出来た。彼女にリンクをお願いする中で
岩手県の端と端でありながら三浦たかしさんとつながっていることが分かった。
輪をかけて奇遇なのは、いせさんとはちまんさんも又繋がっていたことだ。
 インターネットだけのバーチャル関係ではなく、どんどん世界が広がっていく。

 有明海再生に向けて、環境問題を身近なものにする手立てとして、
7月24日(土)「虹の立つ海」という芝居公演をやることにした!面白くなってきたぞ!

情けない日本の世論(イラク人質解放問題)2004/4/20
 結局何も出来なかった政府は、「自己責任」という言葉でイラクで人質となった3人に
責任を転嫁し、あろうことか救援チャーター機の飛行機代などを請求するという。
 勝手に、役にも立たない副大臣を送り込んだりして、お金がかかったと言い
請求書を3人に回すとは!本人たちから助けてくれというメッセージを受けたのか?
犯人グループとの接触さえ出来なかったくせに!。
 家族が助けてくれと訴えたのはマスコミの前でワラをもつかむ思いで言ったこと。
雪山遭難の時のように事前に家族にヘリコプター代などの見積書を提示したか?
請求責任者である小泉の署名入りの請求書はあるのか?その請求書の根拠となる
被害者家族との契約書があるのか?一方的に救出費用なるものを計上して
出来もしなかった救出の費用を「迷惑料」として取り立てるという。
 それこそ、自分たちの体面を保とうと、勝手に、
犯行グループのメッセージに反応した政府の自己責任はどうなんだ!
僕らの税金を勝手に使ったのは政府ではないか。
請求する相手があるならそれは犯行グループだろうが!
 マスコミで言うなら、パウエルさんの言葉を聞きなよ(アメリカ人に言われてどうするんだ)。
筑紫哲也さんが頑張ってレポートしている。
もちろんジャーナリストの過半数はこのおかしな政府の対応を批判している。
4/18付け長崎新聞(おそらく全国の地方紙も)板垣雄三氏の評論も的を射ている。

 政府の連中が口裏を合わせたように、小泉も福田官房も、川口外務も
公明党の冬柴も「自己責任」を繰り返している。立場上、そういう作戦に出るのも
軽蔑をこめて理解できる。

 偏向したテレビ局はあおるように、街頭インタビューから「自己責任」を拾い上げる。
このマスコミの責任は大きい。しかし大政翼賛会の時代ならともかく、圧力受けながら
テレビで言えば筑紫さん他相当数のコメンテーターも短縮された時間の中で気炎を吐いている。
新聞だってまともに読めば、今回の自己責任論は、板垣さんも言うように論外だ。

 むしろこれだけ明白に侵略戦争を仕掛けるアメリカに追随して自衛隊が(武器を携行して)
乗り込んでいながら、表向き(たてまえ)の人道支援をイラクが受け入れているのは、
高遠さんたちが、身をもって(日本人として)人道支援をしてきた実績があるからではないか。
自衛隊が比較的安全に仕事が出来ているのは彼らNGOの個人のおかげではないか。
(これ、パウエルさんが言ってたっけ)。

 ドレイミさん(聖職者)に何度もメッセージを受けていながら、(政府は懸命にマスコミに
その内容を繰り返させないように仕向けているのか、もしくはマスコミ幹部は記者たちの
すばやい事実報道をあわてて覆い隠し、再放送をとめようとしているのか)
一言も返事をしない政府は何なんだ!
 でも事実はこうだ。犯行グループは小泉の暴走に、彼(彼女)ら個人ボランティアの
人道支援に免じて解放しつつも、なお苦言を呈しているではないか。
3人を救ったのは3人自身の過去である。
多くの献身的な個人NGOボランティアの実績である。
政府は彼らを危険にさらしたその責任こそ追及されるべきである。
 こんな馬鹿馬鹿しい自己責任の迷惑料論議になるのなら、TBSでもCNNでも
どこぞが単独インタビューを条件に救出チャーター便を出せば逆に彼らはもちろん無料で
帰って来られたさ。飛行機を出すマスコミは金を出してでも特ダネだ。
もちろん政府は言うだろう。そんなことは許可しない!

 情けないのは、言論統制が敷かれつつも、垣間見える「事実」を見れば
今回の自己責任論議がいかに的外れで、どれだけ間違っているかは明白なのに、
たぶん相当数の日本人は小泉・福田に相づちを打って「そうだ、そうだ」と
言う世論を作っていることだ。
 いつの間に日本人はこんなにもバカヤロウに成り下がったんだ。
とりあえず、このやり場のない怒りを、書き留めておく。
機会があったら、冷静に分析してもいいが・・・。

青草子 2003/11/2
 政治活動報告書に「青草子」(あおぞうし)の名前をつけた。
名前の由来は、報告書の巻頭にも記したが・・・
************************************************
政治活動報告書」ではちょっと堅いので、私の思いいれで愛称を「青草子」と付けました。
『青』は私の好きな色で、この漢字は「すきとおっている」という意味があります。
水が透きとおって(サンズイに青で)「清い」、日が透きとおって(日に青で)「晴れ」、
心が透きとおって「情」であります。
情報をガラス張りにして、良識をもって全てを正直に語ることが、相互理解の第一歩と信じて、
「青」の文字を入れさせていただきました。
「草子」は綴本(とじほん)の意味です

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などと講釈も述べたけれど、実はこの名前は自分の教員時代に
学級通信につけた名前(タイトル)が元祖である。子供さんをお持ちの
方はよくご存知だと思いますが、子供が時々持ってくる「学級通信」あれです。
 あの頃の高校生たちももう今は40前後であろうか。

激動の1ヶ月半  2003/5/30 
 がんばスタンプをようやく軌道に乗せたのが4月の第2週、
この週はのぼりあげファイナルの準備、楠さんの選挙戦の週。

超多忙の中4月上旬市議立候補を決意した最初の引き金は
やはり1市1町の合併協議会設置だ。
ちょうど下記「常識が通じない」の頃ではなかろうか。
今考えるとちょっと危なっかしい言動であるが「言論の自由」の
範囲内であると考えあえて訂正削除はしない。
島原新聞に掲載した「あきらめるな1市16町」はこの直後に書き、
市議会を本気でなんとかせねば、吉岡市長に最接近して、
島原の進もうとしている間違った道を正さねばという正義感が根底にある。
 
問題は選挙である。選挙の洗礼を受けなければ市議には成れないのである。
そこから激動の1ヶ月半が始まった。これは単に僕ひとりの記録としてではなく
1661人分の、さらには島原の歴史の大きな転換点となるべき事件の記録である。
記憶の残っているうちに記しておく意味があると考える。
松坂まさお後援会ホームページに選挙戦レポートを掲載する所以である。

常識が通じない 2003/4/2
 アメリカは間違っている。有明島原の合併は間違っている。
加藤かんじの妻が県議に立候補なんてどうにもならん間違いだ。
そもそも合法な範囲の政治献金があること自体間違っている。
(法を破って有罪なのは夫であって、妻は別の人格である。など屁理屈にもならん)
有明海の干拓も間違いである。みんな常識で分かることだ。
何故こうも常識が通じないのか。
 今度このあたりのことはきちんと記録しておく必要がある。

不誠実な子供たち 2002/8/8
 今回のうず潮「アシスト」はいまいちだったと思っている。
教育のことはテーマが大きすぎてこのくらいのコラムでは何も書けないのだ。
 「半学半教」という言葉がある。1万円札でおなじみ福沢先生の慶應義塾の精神だ。
教師は教えながら学ぶというわけだ。事実、教員時代、僕は随分多くのことを子供たちから学んだ。
ところが今回のアシスト(学習塾)では、
子供たちから学ぶことがあまりないという悲しい現実からスタートしている。
理由を色々考えた。僕が年をとって感性が薄くなった。
今の子供たちがなっちょらん。(そんな時代)。学校と塾の違い。などなど。
 本当に愚痴っぽいのだけれど、大人の僕の方が、子供たちよりはるかに純粋で
真剣で、誠実だと感じてしまうのだ。僕に謙虚さが失せたとは思えないんだ。
考えてみれば教員時代僕が色々子供たちから教わったとき、彼らは純粋で必死だった。
それに引き比べて自分のいい加減さ、妥協を恥じたものだ。
 
 親たちはお金で解決を図っているように思えてならない。
親はそれなりにまじめではあるのだが、でも本当に真剣に考えているのか。
とくに親の甘やかしが子供たちの不誠実につながっているように思う。
親はもっと毅然とせよ!
 中1から高3まで、見ているのだが、やはり高3が面白い。色々教えられる。
改めて入試問題などを解きながら、時代のことを考える。新発見が色々ある。
触発されて、今「100冊の本」の選定作業に入っている。
今回は支離滅裂だ。又そのうちにね。

沈黙の艦隊 2002/5/15
 うち(わかば写真館)の筋向かいに「むら田」うどん屋さんがあって
ここのうどん定食は550円で唐揚げが付いてて美味い。
時々利用している。カウンターに雑誌に混じって漫画「沈黙の艦隊」が
置いてある。「むら田」の娘の趣味だろうと思われる。
 これがまた面白い。でもうどんの出来上がりを待つ時間で読める
ページは限られているから、何度も足を運ぶ。
でもうどん屋さんに通うのにも限度があって、しかも前回読んだところを
忘れているにので、いつまでたっても先に進まない。
  そこで月光堂(古本屋だけど貸本もしている)で借りて読むことにした。
作者名:かわぐちかいじ
久々に感動ものであったよ。これはおすすめ本だ。「百冊の本」に登録しよう。
潜水艦の戦争物と思いきや真剣に核廃絶や平和を願う世界市民の話だ。
海江田四郎艦長(主人公)かっこいい。
 アメリカや世界の戦争に対する考え方
(戦争はけして犯罪ではなく、各国憲法で認められた正義である)
に、あらためて世界の情けない常識に愕然とする。
第29巻で米大統領が、態度を一転して国連で演説する場面がある。
現在、奴隷売買や麻薬密売は犯罪となり、おろかだった人間の歴史を
振り返っているように、戦争は愚かな間違った行為だったと振り返る時代が来る。
「戦争は犯罪ではないのか!」と。(ブッシュに聞かせたい!)

月光堂では、「沈黙の艦隊」全32巻のすぐあとに同じ作者による
「瑠璃の波風」が並べてあって心憎い。今はこれを借りて読んでいる。
海江田四郎の少年時代という設定。今度は有明海のことを考えてしまう。
でも実は何よりも、今の社会問題の教科書というわけではなく
実にさわやかな読後感なのだ。うーむどちらを百冊の本に入れようか。

このページを「土佐日記」と名付けたきっかけ
 男もすなる日記といふものを女もしてみんとてするなり
有名な紀貫之の紀行文(歌日記)の冒頭であります。
 当時まだ公文書は漢文であって、
男どもは慣れない外国語で記録文書を残しておった訳です。
表意文字である漢字をそのまま利用しつつ、
中国に無い概念や固有名詞や五七五の和歌の表記に、
漢字の発音だけを借りるいわゆる万葉仮名
(のちのひらがな・カタカナ)を使うことで、
漢文はそのまま日本語になりました。 いわゆる書き下し文です。
 なのにわざわざ男どもはカッコつけて
日本語を逆に漢文に仕立てて記録を残したわけです。
ばっかじゃなかろか!日本語も上手く操れないくせに、
それをわざわざ下手な英語に翻訳するようなものだ。
もちろんその日本語の表記そのものが確立されていく過程に
あったわけだが、すでに女たちは自由自在に
言いたいことをいい、細やかな心のひだを表現し、和歌のリズムも
そのままに、日本語を使いはじめていた。
 俺は、男であるばかりに漢文しか使えないくらいなら、
いっそ女になって自由に「文章」を残したい。
2002/5/6

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