【掲載日】   2002 年 03 月 01 日
[森岳そぞろ歩き]/
1 猪原金物店 こだわって本物、一生モノ 

 島原城と島原鉄道に挟まれた島原市の森岳(もりたけ)商店街(約60店舗)。10

年余にわたる活性化の取り組みが実を結び、静かな人気を集めている。各地で湧(わ)

き出す地下水や歴史的な建造物を生かした町並みなど見どころを紹介し、町おこしの記

録をひもときたい。そこには、空洞化に頭を痛める各地の商店街や地域活性化へのヒン

トがある。

 創業は1877(明治10)年。九州で2番目に歴史のある金物店とか。安政年間に

造られた由緒ある店舗には、肥後守(ひごのかみ)や鉄瓶など懐かしい生活道具から、

チタン製のウイスキーボトルや中華鍋まで、和洋、新旧を問わず珍しい商品がずらり。

 5代目店主の猪原信明さん(47)は「こだわって本物、そして一生モノ」が信条。

商品の説明を始めると止まらないほど、こだわり抜いて集めた品ばかりだ。

 例えば刃物。猪原金物店の包丁類は、いつまでも切れ味鋭いのが自慢。最近は硬いプ

ラスチックのまな板が多いが、最高に硬い金属を使っているため刃がまな板に負けない

のだ。

 合い引きや手箱などの指し物、“料理の鉄人”も愛用する「長次郎」の鮫(さめ)皮

おろしなど金物店の枠を越えた商品も。アンティークな雰囲気漂う店内は、ちょっとし

た博物館のようだ。

   ◇   ◇

 1962年に110メートルのボーリングをし、トイレ、風呂から料理まで、毎分1

50リットルも自噴する無菌の地下水で賄っている。

 98年に店を改装した際、南側に長さ25メートル、幅1メートルの「速魚(はやめ

)川」を造り、誰でも湧き水を飲めるようにした。せせらぎにはクレソンやハヤ、モズ

クガニが自生し、夏には蛍が飛び交う。

 川の名前は、手塚治虫の「火の鳥・鳳凰編」から。すさんだ心の主人公を改心させる

妻速魚と、疲れた現代人の心を癒やしたいという願いを重ねた。「営業マンですかね、

ベンチに座ってずっと川を見ていたことがあった」と猪原さん。

 茶房では、湧き水を使った島原名物かんざらしや、妻美代子さん(45)の手料理(

土日祝の昼食か要予約の夕食)も味わえる。【山崎太郎】

■写真説明 店内の床は一部れんが敷きとしゃれている


【掲載日】   2002 年 03 月 15 日
[森岳そぞろ歩き]/
2 青い理髪舘 大正ロマンの雰囲気薫る

 島原市上の町で長年、理髪舘を営んできた老夫婦が市営住宅に引っ越すらしい。そん

な話が流れたのは99年の夏だった。

 「取り壊されて駐車場になるのでは」。この10年ほど、市内の“残したい建物”が

次々と姿を消していた。理髪舘の歴史的価値を知る森岳(もりたけ)商店街の有志は危

機感を抱き、家主を訪ねた。家主側は保存を快諾し、毎月いくばくかの地代を商店街が

支払う条件で譲渡契約を結んだ。

 かつてはモダンな外観が人目を集めたであろう理髪舘も築後約80年が経過し、外壁

は塗装がはがれて木の地肌がむき出し。雨漏りはひどく、トイレは黄ばみ、床は少しふ

いただけでぞうきんが真っ黒になった。

 市や県の補助制度を活用して、外壁を元の水色に塗り直し、ひび割れた屋根瓦を補修

して車椅子でも利用できるトイレを新設した。こうして老館は00年10月、「青い理

髪舘」として生まれ変わった。1階には喫茶「工房モモ」が入り、2階はギャラリーと

地元出身画家の蔵書を集めた「柚木(ゆき)文庫」となっている。

   ◇   ◇

 散髪に使われた革張りの椅子、大きな鏡が3面。店内は、理髪舘の味わいある雰囲気

をそのまま残している。はさみなどの消毒棚は手作りクッキーやタルトの陳列棚に変わ

った。

 銀行の寮母を長く務めた渡辺やすえさん(51)が長女陽子さん(24)と切り盛り

する。なるべく国産、低農薬の食材を原料に使うのが「モモ」の方針だ。コストはかか

るが、自然食品の味や安心感を多くの人に知ってほしいからだ。

 お勧めはレアチーズケーキ。芳純なレモンの香りと、さっぱりした甘さは飽きが来な

い。根菜類をカツオと昆布だしで煮込んだ「大正レトロカレー」も人気がある。

 店名の由来となったミヒャエル・エンデの名作「モモ」は、時間泥棒に盗まれた時間

を取り返す少女の物語。「心ゆたかな時間を過ごせる街」を掲げる森岳商店街に、ぴっ

たりの店だ。【山崎太郎】

■写真説明 散髪に使った鏡や椅子(左奥)が時代を感じさせる店内

 

【掲載日】   2002 年 03 月 29 日
[森岳そぞろ歩き]/
3 絃燈舎 旧歯科跡、和楽器店に新生 

 1919(大正8)年、島原市上の町に一つの建物が造られた。長く歯科医院として

使われ、多くの人が出入りした。

 時代は移り、あるじが去った後は断続的に借家として使われた建物も空き家となる。

空き店舗対策はどの商店街も頭痛の種。森岳(もりたけ)商店街も例外ではない。有志

は手始めに、市内の別の場所で和楽器店を営んでいた三浦典子さん(53)に白羽の矢

を立てた。「心ゆたかな時間を過ごせる街」森岳にぴったりの業種。森岳のまちづくり

にも理解がありそうだ――。

 和楽器店は昭和30年代、腕利きの三味線職人だった父の清武さんが始めた。94年

、清武さんが82歳で他界。無気力になり、店をたたもうかと思っていたときに「いい

場所があるから来ないか」と誘われた。あれよあれよという間に決まった話だが、移転

して良かったと思っている。

   ◇   ◇

 絃燈舎(げんとうしゃ)は東西に長く、店に入ると舞扇、花笠、鳴子など日本舞踊に

使う小物類や陶器が目に入る。和楽器は湿気に弱く、受注販売であることから、ほとん

ど陳列していない。奥の畳部屋は三味線や琴の稽古(けいこ)場。茶会にも使われる。

 さらに進むと日本情緒あふれる中庭が。廊下、洗面所、トイレを取り払って造った。

人間国宝の尺八演奏会が開かれたこともある。いろりの間では、気心知れた者同士が時

折寄り合いを持つ。「銀座食堂から具雑煮を出前して、ここで食べるのがナウ」だそう

だ。かつて診察室だった2階は壁と天井をすべてはがしてギャラリーにした。

 「改装前はお化けが出そうだった」(三浦さん)ほど老朽化していたが、現在の店舗

は建物が醸す歴史を巧みに生かし「和」の趣で統一されている。新築、改築でなく改装

で済ませた建物が島原市のまち並景観賞に輝いたのは、絃燈舎が初めてだ。「古い家は

簡単に壊すもんじゃないですね」

 客は父の代から家族同様に付き合ってきた人ばかり。天草や五島からも訪れる。人気

の「吉田兄弟」の影響か、店から流れる音色に誘われてか、最近、和楽器を習いたいと

いう人が少しずつ増え「男の三味線教室」も開いている。

 商店街、各店舗の努力が実り、今、森岳商店街に空き店舗は一つもない。【山崎太郎

■写真説明 稽古場の奥は日本庭園になっている

【掲載日】   2002 年 04 月 05 日
[森岳そぞろ歩き]/
4 酒蔵 「資金ゼロ」の文化施設 

 たてつけの悪いドアを力まかせにスライドさせて酒蔵に入ると、かすかに木のにおい

がする。広さは20メートル×7メートルほど。2本の柱、太いはり、床、すべてが木

造だ。奥には酒樽(だる)が見える――。

 島原城を間近に臨む酒店・宮崎商店(宮崎祐一さん経営)の酒蔵は、青い理髪舘と並

ぶまちづくりの核施設だ。73年までは焼酎造りに使われ、以後は貸し倉庫になってい

た。

 その古い建物が現在、コンサートやフォーラムなどに活用されている。

 話は94年にさかのぼる。森岳(もりたけ)商店街の有志や市職員が「島原ぶらりさ

らき」という企画を始めた。まちをさらいて(歩いて)身近な観光資源を再発見しよう

と、毎月5〜20人が参加した。そのなかで酒蔵が目に留まった。

 酒蔵は1905(明治38)年の築。1階で焼酎を造り、2階は職人の寝泊りなどに

使っていた。

 歴史ある建物をまちづくりに生かそうと、島原に縁のある芸術家約30人を招き、酒

蔵の2階でフォーラムを開いた。その時、女性ピアニストがこんな指摘をした。

 「現代のホールは音が響きすぎる。酒蔵はちょうど良いのでは」と。

 有志で「酒蔵文化の会」を結成し97年1月、初めてのコンサートを酒蔵で開いた。

約140人で埋まり「床が抜けるんじゃないか」と主催者を心配させた。

 以降もジャズ愛好家とフォークソング好きのメンバーが人脈をたどってプロのミュー

ジシャンを年に数回招いている。「雰囲気が良かった」「随分地方回りをしたが、これ

ほど客と身近に接したのは初めて」。酒蔵コンサートに必ず足を運ぶ熱心なファンも生

まれた。

  ◇   ◇

 森岳商店街では毎年「青空文化祭」と名付けた秋のイベントが催される。「他の商店

街のように、アーケードも集会場もカラー舗装も何もない。でも森岳には青空がある」

というのが由来だ。

 酒蔵ではコンサートのほか骨とう市や生花展、写真展も開かれている。先月、島原で

「まちづくりフォーラム」が開かれた際には、懇親会場にも使われた。

 金をかけて箱モノを作らなくても、古里の良さを見直す目とアイデア、情熱さえあれ

ば、何も手を入れていないおんぼろ酒蔵も立派な文化施設になる。

 物言わぬ酒蔵は、そう教えてくれる。【山崎太郎】

■写真説明 昨年9月にあったコンサート。奥には酒樽が見える

 

【掲載日】   2002 年 04 月 12 日
[森岳そぞろ歩き]/
5 月光堂 古本の「プロショップ」 

 島原鉄道の島原駅から島原城に向かう「七万石坂」の途中に、古書籍・月光堂はある

。セットでビニール袋に入った漫画、表紙が少し傷んだ文庫本、古書……。店内は一見

、普通の古本屋だ。しかし、店主の小川泰一さん(44)は「昭和40〜50年代の

懐かし漫画”の在庫数では九州トップクラス」と胸を張る。

 東京オリンピックのころ、小学生だった小川さんは初めて漫画を手にした。「伊賀の

影丸」「サブマリン707」「ジャイアントロボ」に胸躍らせた漫画少年は漫画青年、

漫画中年になり、数千冊の漫画がたまった。

 趣味が高じて89年、島原に古本屋を開いた。店を出すなら人口の多い福岡や東京の

方が有利かもしれなかったが、愛する古里で一生を終える道を選んだ。せめて島原を訪

れる人口を増やそうと、まちづくりにも熱心に取り組んでいる。

 店内を案内してもらった。「まぼろし探偵」「がんばれロボコン」などなど、引き戸

つきの本棚には懐かし漫画の数々。藤子不二雄や水木しげるの漫画も多い。

 店の奥から、小川さんが宝物を見せるように2冊の本を持ってきた。「漫画少年」に

掲載された手塚治虫の「ジャングル大帝」の完全復刻版(限定50部、15万円)など

の稀覯(きこう)本だった。

   ◇   ◇

 当初は漫画だけを扱っていたが、市内の骨とう品屋からアドバイスされた。「島原の

古本屋は島原の乱、島原大変、隠れキリシタンに詳しくなければならない」。この一言

がきっかけで、郷土史にも力を入れ出した。

 95年、東京の古本市で島原の乱について記した「参考島原記」を見つけた。「この

世に1冊しかない」とされる本を「かなり気合を込めた金額」で落札。原本を元に復刻

版を100部印刷した。

 店内にはこのほか「島原半嶋史」「切支丹の復活」から毎日新聞の元島原支局員が記

した「雲仙記者日記」まで、郷土史約500冊が並ぶ。

 福岡出張のついでに月光堂まで足を延ばす人や「月光堂ならあるのでは」と紹介され

て訪れる人も少なくない。

 市内に最近“新古本”を扱うチェーンの書店が進出した。でも、小川さんはさらりと

言う。「森岳の生きる道は『プロショップ』だと思う。ここにしかない商品を扱ってい

けばいい」【山崎太郎】

■写真説明 ぎっしりと本が並ぶ店内。貸本もしている



【掲載日】   2002 年 04 月 19 日
[森岳そぞろ歩き]/
6 街路灯 バラエティー豊かな街の顔 /長崎

 街灯というのは、まちの顔と言えるかもしれない。国見町には照明部分にサッカーボ

ールをかたどった街灯が並び、島原市役所周辺には精霊船に使う「切子灯ろう」の形を

した電灯がある。

 道祖神をイメージした森岳(もりたけ)商店街の街路灯もユニークだ。高さ1・2メ

ートルのものが67基、5・5メートルのものが15基、道路や店先、辻、民家前に立

つ。いずれも島原石を使い、宵(よい)の口になるとオレンジ色の明かりが自動的に点

灯する。

 この街路灯、活躍するのは夜だけでない。両面に張られた銅版の内容がバラエティー

豊かで、歴史散策や歌巡りの楽しさを提供してくれるのだ。

 「↑酒蔵 八〇米」など道案内もの▽「(け) 剣をとり信仰に殉(じゅん)じた島

原の乱」など地元のカルタから引用したもの▽「平成の普賢岳噴火 平成二年十一月」

など歴史もの▽「雲仙の秋の草々妹が眼にも 山口誓子」など古里を詠んだ短歌、俳句

もの――がある。

 元は店の名が入った一般的な街灯だったが、老朽化が進み台風で折れたのを機に立て

替えることに。「蛾(が)を集めるような明るさはエネルギーの無駄」「店名を入れる

と店が街灯の所有権を主張しているようだ」。商店街で毎週3〜4時間、実に30回以

上議論を重ねた末、店の名は入れない、通行人の足元を照らすのには十分な23ワット

の明るさにする、などイメージが決まった。

 銅版の素材探しは古書店を営む小川泰一さん(44)と大学の国文学部卒で商店街事

務局の松坂昌應(まさおう)さん(47)が中心になった。商店街の役員は店や民家の

一部(私有地)に街路灯を立てさせてくれるよう依頼して回った。

 事業費9000万円。自己負担は15%とは言え森岳商店街にとって大きなチャレン

ジだった。

   ◇   ◇

 「四年余も続きし噴火収まりて被災地の畑に牧草茂る」と刻まれた街路灯がある。何

を隠そう、95年に島原を訪問した天皇陛下が詠まれた歌だ。

 普賢岳噴火で家族や家を失った市民にとって、91、95年の天皇、皇后両陛下のお

見舞いは力強い激励だった。陛下の気持ちを多くの人に知ってほしいと歌を街路灯に拝

借したという。

 もっとも、さすがに自分の家や店先に置きたいという人はなく、市役所近くの駐車場

にひっそりと立っている。【山崎太郎】

■写真説明 種田山頭火の日記が引用された街路灯(右)。左端は5・5メートルの街

路灯、後方は島原城

【掲載日】   2002 年 05 月 03 日
[森岳そぞろ歩き]/
7 湯布院視察 若手後継者、噴火で奮起

 これまで森岳(もりたけ)商店街に生まれた見どころを紹介してきたが、それらの多

くは長年の“土づくり”があって花開いたものだ。シリーズ後半は商店街の若手を中心

とした、商店街活性化とまちづくりの歴史をリポートする。【山崎太郎】

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 島原城下に広がる森岳商店街は、島原市で最も歴史のある商店街だ。問屋が多く、半

島内の小売店主が仕入れに訪れ、戦前、戦後は島原一にぎわった。当時、店主たちは一

張羅を着て「城下」へ出かけたそうだ。

 だが、時の流れの中で街も変わっていく。近くにアーケード街ができ、スーパーや大

型店が進出すると、客足は遠のいた。森岳は外回りで注文を取って食いつなぐしかなか

った。

 そして、90年11月の普賢岳噴火が追い打ちとなり、売り上げは激減した。「する

ことと言えば積もった灰の掃除ぐらい」。商店街事務局で写真館を営む松坂昌應(まさ

おう)さん(47)は苦笑まじりに振り返る。

 当時から商店街会長を務める光永建一さん(57)は「このままでは衰退の一途」と

、数少ない若手後継者を集めて呼びかけた。「青年部を作ろう」。いつの時代も変革の

風は血気盛んな若手から起きるもの。ちゃかす者もいたが、集まった10人ほどが決意

した。「まずは勉強会をしよう。三日坊主にしないよう、毎月3日に開こう」

 ところが、である。91年6月3日夜に予定していた1回目の勉強会は、大火砕流で

吹き飛んだ。それから3、4カ月の島原は非常事態だった。

 集まれたのは秋だったが「皆の危機感が尋常でなかった」と松坂さん。眠りから覚め

た山は、青年たちの目をも覚ました。経営的にも尻に火がついていた。今度は誰もちゃ

かさなかった。「自分たちは、各店舗は、商店街は何をするべきなのか、真剣に話し合

った」

 光永会長は往年の商店街の姿を取り戻したいと願ったが、若手の考えは少し違った。

「観光客に立ち寄ってもらえるまちにしよう」

   ◇   ◇

 92年5月、光永会長や若手、中堅10人は3台の車に乗り込み、観光で成功してい

た大分・湯布院を視察した。松坂さんはゆふいん音楽祭事務局長の話が耳に残った。「

『自分たちがやるんだ』という思いの強さがまちを作る。金は問題じゃない」

 古書店経営、小川泰一さん(44)は観光協会長の「観光地には一見(いちげん)の

団体客を集める別府型と、少人数に何度も来てもらう湯布院型がある」という話にヒン

トを得た。

 湯布院で今後の方向性と「思いを持ち続ければできそうだ」という手ごたえをつかん

だ。視察メンバーの多くがその後、商店街の役員やまちづくりの中心を担うことになる

“土産”の多い湯布院視察だった。(写真は従来通り散策スポットを紹介します)

■写真説明 林家京染店(中町)。「本物志向」が店の信条で、落ち着いた雰囲気の店

内には、反物以外にも京小物やのれんなどが並ぶ

【掲載日】   2002 年 05 月 10 日
[森岳そぞろ歩き]/
8 資金と自信 地図づくりで「錬金術」 

 「森岳(もりたけ)商店街の錬金術師」と呼ばれた男がいる。これまで何度か登場し

ている古書籍店のあるじ、小川泰一さん(44)だ。

 92年秋、大分・湯布院視察で刺激を受けた商店街の青年たちが中心になって「青空

文化祭」を開いた。評判は良く、後日あるテレビ局が「災害の中の明るい話題。30分

番組で全九州に流したい。もう一度文化祭をやってほしい」と言ってきた。

 はい、そうですかと言える話ではない。だが、小川さんは少し違った。

 「島原には親切な案内図がない」とかねてから考えていた。「古地図風の噴火イラス

トと観光マップを作るので、それを取り上げてほしい」と逆に提案。真剣さが伝わった

のか、テレビ局は完成するまでをカメラで追うことになった。

 青年たちは図書館で200年前の「島原大変」の地図や文献をあさり、市内を歩いて

お勧めの場所を調べた。プロにイラストを依頼し、商店街の京染店が使っていた反物の

巻き芯(しん)を筒に再利用し、付加価値もつけた。

 「平成嶋原大變之圖(しまばらたいへんのず)」と「うれっさたのっさ島原道中」(

A2判、カラー)が完成した。

 原価は1枚150円。各店への卸価格は250円。販売価格は“出しごろ”の500

円なので、店も商店街も利益があがる。しかも「売れ残りは払い戻す」と損失補償まで

つけた。

 ある夜、商店主向けの説明会を開いた。「1口20枚で5000円。おまけに10枚

無料で進呈するので、最大4口出せば2万円が6万円に!」。各店がこぞって仕入れた

 商店街の光永建一会長(57)は「売れるのかと思ったが、まあやってみろという気

持ちだった」。が、テレビ放送もあって地図は売れに売れ、印刷した計8000部のほ

とんどがなくなった。

 差し引き80万円が商店街の「活性化資金」になった。商店街事務局で写真館経営の

松坂昌應(まさおう)さん(47)は言う。「僕たちがボランティア団体なら金儲けの

発想は出なかった」

   ◇   ◇

 収益は北海道南西沖地震と阪神大震災の被災地への義援金になったほか、高齢者にも

優しいまちを目指して木製ベンチ60脚を製作する元手になった。湯布院で学んだ「大

事なのは思いの強さ」だけで作った地図。活性化資金は使い切ったが「ゼロからお金を

作った」自信は残った。【山崎太郎】

■写真説明 【見どころ紹介】中屋(城内1)。みそ蔵を改装した喫茶部では、郷土料

理の「六兵衛」などが味わえる

 

【掲載日】   2002 年 05 月 17 日
[森岳そぞろ歩き]/
9 1泊4日 経験開花、視察「される」側に 

 「森岳(もりたけ)商店街の視察にかける熱は半端じゃない」。島原商工会議所の末

永節夫・総務係長(42)が舌を巻いた。

 森岳では各店が毎月3000円を積み立てて年1回、湯布院町(大分)、熊本市、日

田市(大分)、甘木市(福岡)などを視察してきた。極めつけが95年の「1泊4日」

の滋賀県彦根、長浜市視察だ。

 商店街会長以下十余人は金曜の夕方まで働いた後、島原駅に集合。夜行列車で土曜朝

に現地入りし、城下町の彦根や「黒壁」で有名な長浜をつぶさに見て回った。翌日は大

阪の商店街を回り、再び夜行で帰省。月曜朝には島原に着き、眠い目のまま仕事に――

 「朝早く出ても現地に着くのは昼過ぎ。時間を無駄なく使いたい」と商店街事務局の

松坂昌應(まさおう)さん(47)。夜行列車は下調べの場やミーティング会場に早代

わり。朝食も駅の立ち食いそばで済ませるほど時間を惜しんだ。

 貧乏性と言われればそれまでだが、エネルギッシュな金物店主の猪原信明さん(47

)をして「こんな悲惨なスケジュールの視察を体験したことはない」と言わしめた。

 単なる物見遊山で終わらせないため「視察後は感想リポートを提出する」決まりがあ

る。商店街事務局で電機店を営む安藤直樹さん(39)は湯布院視察後「森岳は歩くだ

けで気分が落ち着く通りであってもいい」と記した。視察で得たものは、森岳のまちづ

くりに漏らさず還元されている。

 報告集は視察先にも必ず送る。結果「電話一本で話ができる関係」が築かれ、酒蔵の

活用方法を考えるフォーラムを島原で開いたときも、湯布院の「空想の森美術館」館長

が九州在住の芸術家を集めてくれた。

   ◇   ◇

 森岳が新聞社主催の「ふるさとづくり奨励賞」を受賞したのをきっかけに、まちづく

りジャーナリストの亀地宏さんが97年、森岳を取材に訪れた。91年に始めた青年部

の勉強会で、テキストに使ったのが亀地さんの著作だった。メンバーの感慨はひとしお

だった。

 以降、それまでの蓄積が街路灯や絃燈舎、青い理髪舘へと花開いていった。それに比

例するように、視察される回数が増えていった。安藤さんは「人の流れは増えたけど店

の売り上げが大幅に増えた訳じゃなし。いいのかなあ」と頭をかいた。【山崎太郎】

■写真説明 【見どころ紹介】島原新聞社(中町)。島原半島のニュースを扱う日刊紙

。1899年創刊、部数1万5000部

【掲載日】   2002 年 05 月 24 日
[森岳そぞろ歩き]/
10 心豊かな時間 時代先取る商店街の“憲法” 

 「心ゆたかな時間を過ごせる街」。これが森岳(もりたけ)商店街のキャッチコピー

である。光永建一会長(57)の名刺にも、島原城の写真とともに記されている。

 大分・湯布院で視察した商店街が「ひと・マチ・笑顔、咲いてます」のキャッチコピ

ーをつけているのを見て、森岳の青年たちも考えた。

 96、97年度の空き店舗対策と街路灯建て替えで、森岳商店街は東京のコンサルタ

ント、平野信之さんを招いた。地元の建築デザイナー、長浜七郎さん(62)の知人だ

 が、このコンサルタント、のっけから厳しいことを言った。「森岳は金銭を消費する

一般的な商店街として再生するのは不可能だ」

 では何を消費するのか。平野さんは森岳のテーマを「心豊かな時間を消費する街」と

した。

 ただ、消費という言葉は大量生産、大量消費を連想させてイメージが悪い。森岳の面

々は「豊かな、は平仮名の方がよい」など議論を重ね、現在のキャッチコピーを練り上

げた。

 「まちづくりは場当たり的になりかねないけど、コピーが物事を判断する物差しにな

った」と商店街事務局で写真館経営の松坂昌應(まさおう)さん(48)。

 青い理髪舘の外観の色、街路灯の銅版や文字の大きさ、酒蔵横の坂道のデザイン。何

を決めるにも必ず「心ゆたかな時間を過ごせる街」にふさわしいかどうかを考えた。商

店街事務局で電機店を営む安藤直樹さん(39)は「今思えば最近の『癒やしブーム』

を見越したような、すごく良い文句だと思う」。

   ◇   ◇

 97年3月、平野さんがが報告書を作成した。光永会長の巻頭言が振るっている。「

絵に描いた餅にしないために」

 作成にあたっても丸投げはせず、平野さんに視察に同行してもらい、対話を重ねた末

にできたもの。「僕らが視察を重ねてイメージしていたものを、あうんの呼吸で読み取

って“図面”にしてもらった」と松坂さん。

 報告書は森岳の未来予想図がいくつも描かれているのだが、ほとんどが実現したか、

着手中だ。酒蔵、月光堂の外観、絃燈舎、速魚川……。

 光永会長は報告書でこう締めくくっている。「森岳商店街に所属していることが誇り

に思えるような商店街にしていきたい」【山崎太郎】

■写真説明 【見どころ紹介】喫茶サンパン(中町)。住民や行政マン、マスコミのサ

ロンとなっている

【掲載日】   2002 年 06 月 07 日

[森岳そぞろ歩き]/11 花とつぼみ 商店街に女性パワー、花開く 

 森岳(もりたけ)商店街には「フラワーズ」と「つぼみ組」という女性“別働隊”が

いる。

 説明に入る前に森岳商店街の特徴を解説しておきたい。(1)アーケードがなく、島

原市上の町、中町、片町に商店と民家が混在している(2)各店舗は住居も兼ねている

(3)若手後継者に恵まれ、多くの店は親子2世代、3世代が同居している。

 閑話休題。

 大分・湯布院で視察した商店街の婦人部が「フラワーズ」と名乗っていた。名前をハ

イカラにしたら行事に参加する女性の数が増えたという。

 視察後に開いたイベント「青空文化祭」で、森岳の青年たちは早速このアイデアを拝

借し、上の町町内会婦人部に提供した一角を「フラワーズのコーナー」とした。女性た

ちにも好評だった。

 フラワーズは商店主の妻たちで構成され、平均年齢も高い。これに対し跡継ぎ息子の

妻や独身女性たちは「あの人たちがフラワーなら私たちはつぼみ」というわけで「つぼ

み組」を結成した。

 フラワーズは種、苗から育てた花や山から採ってきた花で店先を飾り、パッチワーク

などの手づくり小物を商店街のイベントで販売している。安藤好子さん(63)は「季

節感のある花を見ると落ち着くでしょう。趣味の延長で楽しみながらやってます」と自

然体だ。

 つぼみ組の活動が本格化したのは商店街が予算をつけた97年から。各店の特売やイ

ベント情報を取材し、B4判の色紙にまとめた「かわら版」の発行を始めた。2代目組

長の村田真樹子さん(30)は「つぼみ組の役割は縁の下の力持ち。かわら版で店同士

をつなぐことができた」。

 このほか、市商店街連盟が歳末大売り出しに合わせて実施した2万通のアンケートの

分析を請け負い、島原城のイベント「のぼり上げ」では参加者に食事をふるまった。「

男性が気づかないことをやってきただけ」と光永涼子さん(53)。

   ◇   ◇

 フワラーズ、つぼみ組、花に例えたら何ですか? 村田さんは「かすみ草かな。バラ

とかユリじゃないですね」。そして笑った。「次は女の時代よ」。これまでまちづくり

を引っ張ってきた松坂昌応さん(写真館)、猪原信明さん(金物店)、小川泰一さん(

古書籍)。いずれも子どもが「娘」ばかりだからだ。【山崎太郎】

………………………………………………………………………………………………………

 【見どころ紹介】ニーニョ・ニーニャ(上の町)。「男の子、女の子」を意味するカ

ジュアル衣料品店

 

【掲載日】   2002 年 06 月 14 日
[森岳そぞろ歩き]/
12 まちが変わる 「日本人の原点」見つめ続け 

 「森岳(もりたけ)は1、2年で大きく変わります」。島原市都市整備課の永田充係

長(50)は自信を込めて言った。

 背景には、道路整備や街並み保存に国が費用の半分を補助する「街なみ環境整備事業

」の対象地域に、市が選ばれていることがある。事業の適用を希望する地区住民は自分

たちで同意書を集めて協定を結ぶ必要があるが、景観向上に寄与する民家や店舗の改修

にも補助金が出る。

 「大変“お得”な事業。やる気のある町が積極的に利用すれば、効果は抜群」と永田

係長。

 森岳商店街の中心、上の町の55世帯は00年9月に協定を結び、3本の道路改修と

沿道の商店、民家改修が動き出した。

 道路改修に当たって市やコンサルタントに丸投げせず、若手8人が「研究会」という

実行部隊を立ち上げた点に、森岳の真骨頂がある。「まちづくりを10年やってきた。

全くの素人ではない。自分たちのまちは自分たちの手で」とメンバーの猪原信明さん(

47)。

 昨年3月の発足以降「毎週、必ず」木曜夜に集まり何時間も喧喧諤諤(けんけんがく

がく)続けてきた。「そもそも道路とは何か」から始まり、自分たちの道路哲学を練り

上げた。町内の建築デザイナーと測量事務所も、無償で協力した。その積み重ねが最初

に形になったのが、宮崎酒店横に完成した市道「東虎口(こぐち)坂」だ。

 上の町が目指すのは車より歩行者が優先され「歩くのが楽しい」道路だ。湧(わ)き

水がせせらぎとなって流れ、邪魔な電柱は撤去する。研究会が描く道路が現実になる日

は、そう遠くない。

   ◇    ◇

 理容店を営む橋本博仁さん(36)は画才を買われ、上の町の未来予想図をデッサン

した。古い民家や商店は城下町にマッチした純和風の建物になり、湧き水が流れ込む池

が描かれていた。

 01年度は上の町の商店など3軒が事業の補助金を使って、トタンの壁をしっくい壁

にしたり、外観を見栄え良くした。永田係長はさらに29の民家、商店が補助の対象に

なりうると見ている。「森岳が良くなって、他地区にも飛び火してほしい」と期待する

   ◇    ◇

 猪原さんと、ともにまちづくりに情熱を注いできた松坂昌応さん(48)=写真館経

営=がイメージする森岳の将来像は、高度成長期以降「効率」の下に切り捨てられたも

のを取り戻したまちだ。

 日本人が当たり前のように持っていた近所づきあいや支えあいの心、目に見えないも

のへの畏敬が脈々と流れ、金銭的に豊かでなくても、高齢者から子どもまで生き生きと

暮らすまち。この10年、まちづくりの先頭に立ってきた2人が見据えるのは、そんな

姿だ。

 新しい10年が、今から始まる。【山崎太郎】=おわり

 次週は番外編として、森岳メンバーによる座談会を掲載します。

■写真説明 島原城天守閣から見た森岳のまち並み(写真中央付近)。さらに発展する

可能性を秘めている

【掲載日】   2002 年 06 月 21 日
[森岳そぞろ歩き]
番外編 商店街座談会 
街づくりは終わりなく 

 6月のある夜、島原市上の町の「茶房・速魚川」。森岳(もりたけ)商店街の主要メ

ンバーが一人、また一人と集まる。戸口から吹き込む風で風鈴がにぎやかに響く。「森

岳そぞろ歩き」番外編、11人による座談会。10年の歩みを総括し、今後どうするか

の議論は深夜まで続いた――。【山崎太郎】

 ◇「何とかせにゃ」の精神で

 ◆10年の歩み

 ――この10年をどう評価してます?

 松坂昌応さん(48)=写真館 もし10年間何もしなかったら、商店街はかなり衰

退していたはず。不況だからまちづくり効果は現状維持程度かもしれないけど。

 光永建一さん(57)=商店街会長 まだ我々は「成功した」部類には入っていない

。時代に合ったまちづくりは進行中だし、終わりはない。ただ「やればできる」と思え

るようになった。

 小川泰一さん(45)=古書店 テレビで「まちづくりの先進地」と紹介され、視察

に来られる側になった。地元の人にも森岳の良さに気づいてもらえるようになった。

 猪原信明さん(47)=金物店 大分・湯布院視察で「まちづくりは民間でできる」

ことにショックを受けた。猿まねと言われようが、視察で得たものをすぐ実行する腰の

軽さがあった。「まちづくり講演会をやって終わり」という図式は森岳にはなかった。

 松坂 視察後「オレたちには無理」とできない理由ばかりあげる人もいるけど、僕ら

は後がなかったから、それはしなかった。

 ――森岳を見ていると、徹底的に「視察に使った元を取る」という姿勢を感じます。

悪く言えば貧乏人根性、良く言えばハングリー精神旺盛。だから視察の成果は細大漏ら

さず生かされ、投資効果が上がった

 光永 貧乏じゃないのよ。土地、家持ちが多いから。(笑)「何とかせにゃ」という

気持ちがあって、体面は気にしなかった。

 小川 多いときは1年の3分の1は会議。夜中の2時までとか。

 猪原 商店街の意識も変わった。以前は自分の店の販売促進のために何かやろうとい

う考えだったが、今は店に入らなくても人が気持ちよく歩いてもらえればいい、と。

 光永 以前は今より人通りが少なかった。十数年前、県の商業診断で「観光客もター

ゲットにしたい」と言ったら、頭からけなされた。「絶対無理だ」と。

 猪原 他の商店街からもばかにされてた。「昔は一番繁盛していたのがこの落ちぶれ

よう」と何回聞いたか。悔しかったねえ。

 ◇噴火で気持ちが一つに

 ◆人材

 ――森岳って、役者がそろっている。若手、年配、突っ走る人、フォローする人、役

割分担もできている。でも、皆さん特別な人ではない。

 光永 それが災害の恩恵。バラバラだった皆の気持ちが噴火で一つになったから。

 松坂 自分の店だけでなく、地域に人をどう呼ぶか考えるようになった。

 光永 この界隈(かいわい)は半島一の商店街だった。地理的、人的に人を集める素

材はあった。皆が目覚めて頑張ったから、少しずつ人が集まりだした。

 村田真樹子さん(30)=飲食店 会議をしていても(宮崎)東三さんや(中川)恵

勝さんがいい具合に水を差してくれるので暴走しない。

 ――青い理髪舘に一番通っているのは東三さんと聞きます

 宮崎東三さん(45)=保険代理店 理髪舘も(リニューアルした)猪原金物も成功

してほしいから。それが皆がやってきたことの一番の証明になる。私はこいのぼり上げ

の要員とか、できることをやってきただけ。

 ――森岳が恵まれているのは、まちづくりをやろうという時に、磨けば光る資源や歴

史があった

 小川 「島原、森岳らしさ」を生かす以外に道はなかった。「古いもので生きていこ

う」と思った時、資源が残っていた。

 長浜七郎さん(62)=建築デザイナー この商店街、清水の次郎長一家みたいな一

匹狼(おおかみ)ばっかり。でも、何かやるときは一生懸命。一時、客をアーケード街

に持っていかれたけど、商売気が前面に出ず「一杯お茶を飲んでいって」「島原、森岳

を好きになってほしい」という姿勢が成功した。

 光永 「商店街の体(てい)をなしてない」というのは皆ある程度認めていて、ほか

の道を歩むしかなかった。

 ――若い人はどうして参加するようになったんですか

 村田 商店街の集まりに父の代わりに行き出してから。にぎやかで、いつも「次は何

しようか」と考えていたし。

 上田珠代さん(35)=眼鏡、時計店 猪原さんの一言。「自分たちで住んでいる通

りは、自分たちで考えよう」と言われて。

 橋本博仁さん(36)=理容店 職業柄、年配のお客さんと話していて「昔、ここは

一番良かった」と言われると「今から見とけ」と思うようになった。まちづくりに参加

してから特に。

 ◇人情流れ続けるまちを

 ◆課題

 ――今まで40代以上のメンバー中心でやってきた。20、30代という次の世代に

どうバトンタッチし、育てていくかが課題では

 猪原 次の世代は人材の宝庫。20、30代がひしめき合っているのに、我々やかま

しい世代がワーワー言わず、次に移す意識があった方がいい。いかに若手の新しい感覚

をまちづくりに出していくかは課題。

 光永 次の世代がどういうまちをつくるか分からん。でも、時代が変わっても、人情

は永遠に変わらん。

 中川恵勝さん(46)=印房 今はまだ僕らの時代。下の者に譲るような気持ちは全

くない。

 ――10年経って、かつての熱さがなくなったということは?

 中川 今がピーク(笑)。

 松坂 押しのけてみろ、という感じ。

 光永 一時からすると中だるみがある。

 小川 見ている方向は同じ。大同団結して何かするというのは今はないけど、号令が

かかればやるパワーはある。

 ◇自由な議論、許す風土

 ◆自慢

 ――この点は誇れる、というのは

 光永 酒も飲まずに深夜まで議論する。それを毎週毎週やる。そういうエネルギー、

責任感から生まれた意見は、強い。「誰かがするやろう」ではない。

 松坂 僕は商工会議所青年部などでは「常識はずれ」と言われるが、森岳では認めて

もらえてる。小川の意見なんて、青年会議所なら絶対に却下される。イラストマップと

かとっぴな考えが通るのは不思議。

 村田 森岳という土壌で開花した。

 安藤 結果オーライは多い。でも、それは議論を尽くしているから。

 中川 まちづくりはよそ者、ばか者、若者がいるという。ここはばか者が多い。

 安藤 若い者の意見でも、良いものであれば通る柔軟性は誇れる。頭から「そがんこ

としてもだめ」とは言わない。

 ――それが許されたのは土地柄ですか

 村田 光永さんは若いときから会長をやっていて、いろいろ苦労してきたから、若い

人の話も聞く姿勢があった。

 光永 何かしないといかんかとは思ったけど、私たちの世代じゃでけんかった。若い

世代の意見を受け入れれば、責任もって一生懸命やるんじゃないかと。後始末は受けて

やるからやれ、と。

 ――今後のまちづくりはどうしたいですか

 橋本 割と地元の人が森岳を知らない。地元の方を歩かせたい。

 上田 「昔は良かった」でなく、今を評価してもらえるようになりたい。

 安藤 この前「森岳にそぞろ歩きにきました」とウチの店に入ってこらした人がいた

。そういう人がもっと増えれば、活気がでる。

 光永 最後に一言「人情豊かな森岳へどうぞ」って書いておいて(笑)。

■写真説明 座談会に参加された皆さん